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K-1年代別できこと

1993年春、格闘技の未来を変える闘いが始まった。

1993年4月30日、K-1は産声を上げた。

フジテレビの「LIVE UFO」というイベントの中で、「K-1 GRAND PRIX」は代々木第一体育館にて初開催。「空手、キックボクシング、カンフー、拳法など、“K”のつく格闘技の世界王者を集めて、ワンナイトトーナメントで世界一を決定する」というコンセプトを打ち出し、格闘技の未来を変えるイベントとして「K-1」が誕生した。

この年のトーナメントには、世界トップクラスと評される8名の格闘家が集結。優勝候補には、モーリス・スミスやピーター・アーツの名が挙げられ、日本からは空手のトーワ杯で2連覇し、国内無敵と言われた佐竹雅昭が出場。しかし、トーナメントを制したのは日本では無名のブランコ・シカティックだった。シカティックは全試合KOという度肝と抜く強さで優勝をさらい、賞金10万ドルを獲得した。

優勝候補の完敗、無名選手の活躍、KO率80%というヘビー級のド迫力、常識を超えた破格の優勝賞金、そしてエンターテイメント性の高い華やかな演出。また、チケット12,000枚はわずか1時間で完売しており、TV中継の視聴率は深夜2時30分からの放送にも関わらず、3.1%の高視聴率を獲得。格闘技のイメージを一新する闘いで、K-1は一瞬にして脚光を浴び、世界中にファンを広げていった。

暴君ピーター・アーツ、K-1に降臨。

3月に開催した「K-1 CHALLENGE」で、極真空手世界大会第2位のアンディ・フグが前年王者のブランコ・シカティックを破って鮮烈のデビューを飾り、トーナメントでの活躍に注目が集まった。

「K-1 GRAND PRIX '94」は前年同様、ゴールデンウィーク中の4月30日、代々木第一体育館にて開催。この年も8名によるワンナイトトーナメントで優勝が争われたが、注目のアンディ・フグはなんと初戦パトリック・スミスに1RKO負け。決勝には、当時“オランダの怪童”と呼ばれていたピーター・アーツと佐竹雅昭が勝ち上がり、5Rフルに闘った末の判定(3-0)で、アーツが初の王座に輝いた。この後、アーツは連戦連勝の長期政権を築くことになる。

バンナ&ベルナルド、衝撃の日本デビュー。

この年からトーナメント出場選手を16名とし、開幕戦(3月3日/日本武道館)で8名に絞り、決勝戦(5月4日/代々木第一体育館)のワンナイトトーナメントでチャンピオンを決定するシステムが作られた。

期待されたアンディ・フグはこの年も初戦で敗退。アンディを破ったのは、当時まだ無名だったマイク・ベルナルドだった。ベルナルドは準々決勝でもスタン・ザ・マンを右ハイキックで破り準決勝へ進出。そこで、やはり無名のジェロム・レ・バンナと対戦し、KO負けを喫した。決勝に勝ち上がったバンナと前王者ピーター・アーツの対戦はわずか1分37秒、右ボディでアーツの圧勝だったが、1995年のグランプリはバンナとベルナルドの登場により大きな盛り上がりを見せた。

なお、国内では全5大会、さらに初の海外大会として6月10日にスイスのチューリッヒにて「K-1 Fight Night」を開催している。

アンディ・フグ、悲願の初優勝。

1996年の「K-1 GRAND PRIX」は開幕戦(3月10日)、決勝戦(5月6日)とも、横浜アリーナにて開催。'94年、'95年と連覇しているピーター・アーツが絶対本命と見られていたが、なんと準々決勝でマイク・ベルナルドに失神KO負けするという大波乱が起きる。

アーツを退けたベルナルドは決勝戦でアンディ・フグと対戦するも、フグトルネードを喰らってKO負け。結果、大混戦のトーナメントは、2年連続初戦敗退のアンディ・フグが悲願の初優勝を飾った。これは同時に空手出身選手が初優勝を遂げた瞬間でもあった。絶対的な強さを誇っていたアーツが不振に陥り、誰が一番強いのか予測のつかない戦国時代に突入していく。

また、この年から賞金総額が30万ドルになり、優勝したアンディは23万ドルを獲得した。このアンディの優勝で奮起した佐竹とアンディの対戦が10月の横浜アリーナで実現(アンディの判定勝ち)。この大会はフジテレビ系列で初めてゴールデンタイムで放送され、瞬間視聴率が20%を超えるという高視聴率をマークした(平均15.6%)。4月からは格闘技情報番組『SRS』も始まっており、K-1は社会現象と言われるようになる。

60,000人が見つめるその先に、K-1のリングがある。

この年からK-1はドームに進出。

まず7月20日にナゴヤドームで「K-1 DREAM '97」、続く9月7日には大阪ドームで「K-1 GRAND PRIX '97 開幕戦」、そして11月9日には東京ドームで「K-1 GRAND PRIX '97 決勝戦」を開催。チケットは全てソールドアウトし、K-1の試合をライブで観戦しようと集まった人、人、人で、どの会場も埋め尽くされた。

エンターテインメント性の高い華やかな演出で幅広い層のファンを集め、独自の世界観をドームに確立したK-1。その中で台風の目となったのが、極真会館の史上最強外国人ファイター、フランシスコ・フィリオだった。フィリオはナゴヤドーム大会で前年王者アンディ・フグを右フック一撃でKO。トーナメントでも連続KO劇で準決勝へ進出し、アーネスト・ホーストと緊迫の間合い合戦を展開。惜しくも判定負けをしたものの、堂々の3位入賞を果たし、極真“一撃”伝説を一般層にまで広めた。

決勝戦では、ホーストが大接戦の末にアンディを判定(2-0)で下し、K-1初優勝を飾っている。1997年、初の東京ドーム大会を成功させたK-1は、日本での人気を不動のものとした。

“暴君”アーツ、戦慄の3連続1RKO。

この年も、「K-1 GRAND PRIX 開幕戦」を大阪ドーム(9月27日)、「K-1 GRAND PRIX 決勝戦」を東京ドーム(12月13日)で開催。さらにこの年からK-1 JAPANシリーズが発足し、強い日本人の発掘・育成をコンセプトに「K-1 JAPAN '98 〜神風〜」が10月28日に国立代々木競技場第2体育館にて旗揚げされた。出場選手には佐竹、武蔵、中迫らが名を連ね、大会の模様は日本テレビが当日オンエアし、同局では格闘バラエティ番組「超K-1宣言!」がスタートした。

一方、「K-1 GRAND PRIX '98」では3年ぶりに“暴君”アーツが復活V。フィリオに続く極真空手から参戦したグラウベ・フェイトーザに注目が集まったものの、トーナメント初戦で佐竹に判定負け(2-0)。準々決勝、その佐竹をヒザ蹴りで破ったアーツは、続く準決勝ではベルナルドからパンチで2度のダウンを奪ってTKO勝ち。さらに決勝でも、3年連続決勝進出のアンディをハイキック一発でマットに沈めた。

決勝大会の3試合全てを1RKOという驚異的な強さで優勝したアーツ。逆に前年王者のホーストは体調を崩して体重が落ち、いいところなく2回戦で姿を消した、また前年初出場3位のフィリオも、ベルナルドの強烈な豪腕の前に初のKO負けを喫した。

バンナ大逆転、ミルコ躍進、ホースト2タイム王者達成。

この年の「K-1 GRAND PRIX '99」決勝大会では、K-1史上初の試みとして、トーナメントの組み合わせを選手本人が抽選で決めるシステムが採用された。その結果、決勝大会は片側のブロックに前年のベスト4の内3人が固まるという若干偏った組み合わせとなったが、それにより例年にも増して過激なトーナメントとなった。

中でも観衆を熱狂させたのが、初戦で実現してしまったアーツVSバンナ戦。優勝候補筆頭で絶好調のアーツが開始早々にハイキックでダウンを奪うも、その直後、バンナの強烈なパンチを顔面に受けてまさかの逆転KO負け。会場は総立ち状態となった。さらに準決勝のホーストVSバンナ戦も、1Rに猛ラッシュで攻め込まれて防戦一方だったホーストが、2Rにフックの連打で大逆襲、バンナからKO勝利をもぎ取った。

逆側のブロックからは、開幕戦でベルナルドを破る番狂わせを演じたミルコ・クロコップが、武蔵、サム・グレコを破って初の決勝進出。しかし、決勝では準々決勝で痛めたボディにホーストの追い打ち攻撃を受け、敢えなくマットに沈んだ。結果、ホーストが2年ぶり2度目の栄冠を手にした。

アンディ・フグ、突然の死。

2000年は、K-1ファンにとっては悲しい年となった。アンディ・フグが急性前骨髄球性白血病を患い、帰らぬ人となってしまったのだ。この悲しいニュースを吹き飛ばすため、ファイターたちは信じられない試合を次々と見せてくれた。

『K-1 THE MILLENNIUM』では、ジェロム・レ・バンナがフランシスコ・フィリォを衝撃のKOで下す。「千年に一度の一撃」と呼ばれたこの結果を受けて、バンナが再び優勝候補へと名乗り出ていくことになった。

この年から東京ドームを終着点とするGPは『K-1 WORLD GP』シリーズとなり、世界各国で予選を行い、開催国は現在までに、北米、南米、ヨーロッパ、オセアニア、アジアなど25カ国になっている。その人気は、瞬時に沸騰し、たとえばスイスでは、スイスの英雄アンディ・フグが登場した試合で視聴率50%にも達した。また韓国ではケーブル史上最高の視聴率をマークしその記録は今なお更新し続けている。ニュージーランドでは、国技であるラグビーを超える視聴率を獲得。K-1は格闘技という枠を超えメジャー・スポーツとして世界を魅了し始めた。

そして、日本でも予選はトーナメント制からスタート。140名以上のファイターが一年がかりで頂点を争うことになった。世界予選トーナメントでは、のちにスターとなるマーク・ハント、アレクセイ・イグナショフが優勝。世代交代の波がK-1に押し寄せた。しかし、決勝大会ではホーストがミルコ、フィリォ、セフォーを破って完全優勝。世代交代の波をもろともせずに、アーツと並ぶ3回目のWGP王者の座に就いた。

11月には中量級のワンマッチ大会『K-1 J・MAX』が開催され、魔裟斗と小比類巻貴之がダブルメインを務めた。このイベントは、2002年に始まる『K-1 WORLD MAX』へと続いていくことになる。

“サモアの怪人”マーク・ハントが奇跡の初優勝。

2001年、K-1はさらに拡大していく。3月に開催された『K-1 GRADIATORES 2001』で、マイク・ベルナルドとジェロム・レ・バンナが壮絶な打ち合いを展開。ベルナルドがバンナをKOしたように見えたが、ゴングのあとの攻撃だったためノーコンテストに。しかし、ファンに与えたインパクトは絶大だった。

WGPの世界地区予選は10カ国で開催され、優勝者とWGPのベスト8ファイターが世界本戦トーナメントにエントリー。そこで優勝したファイターが、WGP決勝大会に出場できるという厳しいものに。さらに敗者復活戦も行なわれ、計8名によって東京ドームのファイナルが争われた。JAPAN GPではニコラス・ペタスが優勝し、史上初めて日本人選手が不在で決勝大会が行なわれることになった。

決勝大会では欠場したミルコの代役で参戦したマーク・ハントが、一度はセフォーに敗れたものの、セフォーの負傷で決勝まで駆け上がる。ファイナルは、ともに優勝経験のないハントとフィリォの闘い。僅差の判定で、ハントが初優勝を飾った。

また、8月には猪木軍との抗争が勃発。ミルコが総合格闘技ルールに初チャレンジし、藤田和之にTKO勝ち。K-1ファイターの強さを証明することとなった。

WORLD MAX誕生、ボブ・サップ台風上陸。

K-1が誕生して10年目のシーズンは、衝撃的な一年となる。

人類最激戦区といわれる中量級のカテゴリー、MAXがいよいよスタートすることになったのだ。『K-1 WORLD MAX 2002〜日本代表決定トーナメント』では、決勝戦で魔裟斗と小比類巻貴之が因縁の対決。魔裟斗が勝利を収める。続いて、『K-1 WORLD MAX〜世界一決定戦〜』が初めて開催され、準決勝で優勝候補と見られていた魔裟斗が、アルバート・クラウスにまさかの敗戦。クラウスは、そのまま初代王者の座に就くことになった。

ヘビー級でもビッグサプライズが。ボブ・サップの登場だ。サップはデビュー戦で反則負けを宣告されるものの、その後も大暴れ。勢いに乗ってWGP開幕戦に参戦すると、3度の世界王者に輝いているアーネスト・ホーストと対戦し、大番狂わせでKO勝利を収めてしまう。こうしてサップは時代の寵児となっていった。

決勝大会に駒を進めたサップはホーストと再戦。リベンジを許さず、"Mr.パーフェクト"を蹂躙する姿は、衝撃的だった。だが、この試合で右手を骨折。無念のリタイアとなり、ホーストが準決勝に進む。すると、セフォー、バンナを下して前人未到となる4度目の王者に就いたのだった。

魔裟斗が悲願の世界王者に。レミー・ボンヤスキー初優勝。

日本人選手の躍進の年だった2003年は、Kのリングで念願の日本人世界王者が誕生する。前年に続いて『K-1 WORLD MAX 2003〜日本代表決定トーナメント』を制した魔裟斗が、リベンジを期して世界大会へと駒を進める。MAX世界大会では、マイク・ザンビディスを下して勢いに乗ると、決勝戦で宿敵クラウスとの対決に。ここで魔裟斗は、クラウスをKOで撃破。リベンジを達成するとともに、日本人選手としては初の栄冠に輝いた。

K-1WGPでは"フライング・ジェントルマン"レミー・ボンヤスキーが大ブレイクを果たす。WGP 開幕戦ではボブ・サップの反則負けによって決勝大会へとエントリー。WGP決勝戦ではピーター・グラハム、シリル・アビディ、武蔵を破って初優勝を成し遂げた。また、決勝戦でボンヤスキーと対戦した武蔵は、セフォー、アーツを下して初の決勝進出を果たす。惜しくもボンヤスキーに敗れたが、ファンに大きな希望を与えた。

脅威のフライングハイ、レミー2連覇。MAXでムエタイ絶対王者誕生。

年が変わってもレミー・ボンヤスキーの勢いは衰えない。『K-1 WORLD GP 2004 in TOKYO 開幕戦』では、K-1のリングに初登場となった曙をハイキックでKO。決勝大会ではホースト、フランソワ“ザ・ホワイトバッファロー”ボタ、武蔵から判定勝利を挙げて2連覇を達成する。武蔵は2年連続の決勝進出という快挙を成し遂げたが、悲願の世界一には輝けなかった。

また、MAX世界大会はスケールアップ。16名が参加し、開幕戦・決勝大会と2大会に渡って行なわれる形式となり、より厳しいトーナメントとなっていく。

そんななか、昨年度の王者・魔裟斗は開幕戦でセルカン・イルマッツを撃破。決勝大会ではジャダンバ・ナラントンガラグ、クラウスを返り討ちにして、順調に決勝へ進出。だが、ブアカーオ・ポー.プラムックにまさかの敗戦を喫してしまった。2連覇の夢を絶たれてしまった魔裟斗とは対照的に、ブアカーオはここから中量級のエースとして猛威を振るうことになる。

シュルト、長期政権の予兆。アンディ・サワーがMAX初優勝。

2005年に入ると世代交代はさらに加速していく。“絶対王者”セーム・シュルトの登場である。『K-1 WORLD GP 2005 in OSAKA 開幕戦』で極真の雄、グラウベ・フェイトーザを破って決勝大会に駒を進めると、レイ・セフォーを下し、2連覇を達成したレミー・ボンヤスキーから2度のダウンを奪って決勝戦に進出。決勝戦でシュルトは、リザーブマッチから勝ち上がってきたグラウベと再戦。ヒザ蹴りで衝撃のKO勝利を収めて、初の世界王者の座に就いた。圧倒的な実力で世界を制したシュルトは、長期政権を予感させた。また、“韓国の大巨人”チェ・ホンマンがK-1に参戦。その規格外のスケールに注目が集まった。

MAXの舞台でも新戦力の台頭が相次いだ。クラウス、魔裟斗、ブアカーオら歴代王者が参戦した決勝大会を制したのはオランダの新星、アンディ・サワー。小比類巻、安廣一哉、昨年の覇者であるブアカーオを撃破し初優勝を飾る。世界王座奪還の期待が高かった魔裟斗だが、ザンビディス戦で足を骨折し、無念のリタイアを余儀なくされてしまった。

世界中から最強のファイターが集結したことで、K-1は群雄割拠の時代へと突入していく。

踊る大巨人、チェ・ホンマン登場。K-1レジェンド、ホーストが引退。

2006年はファンにとって忘れられない年になったはずだ。6月に行われた『K-1 WORLD GP 2006 in SEOUL』でセーム・シュルトは、チェ・ホンマンにまさかの敗北を喫してしまったのだ。だが、WGP開幕戦ではビヨン・ブレギーから危なげなく勝利。WGP決勝大会では、ジェロム・レ・バンナ、ホースト、アーツら草創期から支えているトップファイターたちをことごとく倒し、完全優勝を成し遂げた。ホーストは今年限りの引退を宣言しており、シュルトに敗れたことでグローブを置くことに。シュルトは総合にもチャレンジして快勝を収めるなど、絶好調。長期政権を築いていくこととなる。

MAXの舞台でも大きな動きがあった。MAX世界開幕戦でヴァージル・カラコダに苦戦したブアカーオだが、世界大会結晶トーナメントに突入すると、鍛え上げたパンチの技術でKOの山を築いていく。佐藤嘉洋、ドラゴ、前年度王者のサワーを下して前人未到となる2度目の世界王者に輝いた。復活を期待された魔裟斗は、小比類巻戦での負傷があったためか、サワーの爆発的なラッシュの前に敗退。加速度的にレベルが向上していくK-1のリングでは、誰が勝ってもおかしくない混戦模様となっている。

ヘビー級王者バダ・ハリ、スーパーヘビー級王者セーム・シュルト誕生。

2007年は、世界構想がいよいよ本格的になっていく。『世界最高』か『世界最強』をコンセプトに、100kg超級のK-1スーパーヘビー級王座と100kg以下級のK-1ヘビー級王座が新設されたのだ。スーパーヘビー級初代王者には、レイ・セフォーを失神KOで破った絶対王者のセーム・シュルトが君臨。ヘビー級初代王座のベルトは、ルスラン・カラエフ、藤本祐介を破ったバダ・ハリの腰に巻かれることとなった。各階級の世界最高が決まったところで、今度は天王山のWGPが開催されることに。ここでも主役は、シュルトだった。

韓国で初開催となったWGP開幕戦でシュルトはホーストの弟子、ポール・スロウィンスキーを一蹴。決勝トーナメントでも、グラウベ・フェイトーザ、ジェロム・レ・バンナ、ピーター・アーツを退けて前人未到の3連覇という偉業を達成した。日本人では、初めてバンナを倒した澤屋敷純一という新星が現れたものの、勢力図を塗り替えることはできず。シュルトの王国が、さらに勢力を拡大する結果となった。

MAXでは魔裟斗の後継者としてHIROYAがデビューし、天才少年として大きな注目を集め、10代のファイターにも日が当たるようになる。だが、それ以上の活躍を見せたのが魔裟斗だ。MAX開幕戦でHERO'Sミドル級王者のJ.Z.カルバンを退けると、決勝大会では前年度王者のブアカーオを倒す。決勝戦のサワー戦では優勝こそ逃してしまったものの、大きな感動を生むことに成功した。

変革の2008年。魔裟斗が二度目の戴冠、バダ・ハリが失格処分。

アメリカで初の黒人大統領が当選するなど、2008年は『変革』が大きなムーブメントを呼んだ。そんななかでK-1も、大きな『変革』を起こす1年となった。

まず一つ目の『変革』は、10代のファイターが中心になったK-1甲子園の開催だ。全国の高校生を対象に主要都市で予選を開き、10代の有望なファイターを次々と発掘。“魔裟斗2世”と呼ばれるHIROYAをはじめ、嶋田翔太、日下部竜也、卜部功也…といった天才高校生たちが続々と集まり、将来のK-1を背負うべき人材がしのぎを削った。そして、WORLD YOUTHというカテゴリーも生まれ、日本と世界の10代の対決が、より一層、激しさを増していく。

もう一つの大きな『変革』は、ライト級(60kg)の新設だ。スーパーヘビー級、ヘビー級、中量級のMAXに続き、いよいよ今度はその下の階級にも着手。スター選手が揃い、日本人の層が最も厚いといわれるライト級には、トップクラスの大月晴明、上松大輔、梶原龍児、大宮司進らが出場し、今後の可能性を示す激闘を繰り広げた。

10代ファイターの活躍、WORLD YOUTH、ライト級の新設と新しいムーブメントが起こるなかで、大黒柱のWGPシリーズとMAXシリーズでは、これらに負けない名勝負が次々と生まれていった。

2008年からMAXは、開幕戦(16名)→FINAL8(8名)→FINAL(4名)と3大会で世界一を決めるシステムに変更。日本トーナメントで代表権を勝ち取った城戸康裕は、開幕戦でイム・チビンをKOして、FINAL8へ進出。一躍、シンデレラボーイとなる。魔裟斗を追いかける佐藤嘉洋は、開幕戦でムラット・ディレッキーを下し、FINAL8では、なんと天敵のブアカーオを右ストレートでKO。魔裟斗との直接対決まで駒を進めた。一方の魔裟斗は、倒すことをテーマに掲げ、開幕戦でヴァージル・カラコダから失神KO勝ち。続くドラゴ戦もクリアして、王座奪回へ向けて好スタートを切った。

魔裟斗の前に立ちはだかったのは、佐藤嘉洋。魔裟斗が優位に試合を進めるなか、佐藤の左フックをもらってまさかのダウン。万事休すかと思われたが、守りに入らず反撃し、延長戦で佐藤を下した。決勝戦で魔裟斗は、王者アンディ・サワーを破ったアルトゥール・キシェンコと激突。ここでもダウンを喫してしまった魔裟斗は、またしても打ち合ってポイントを挽回し、一気に頂点へ。一日に2回も逆転するという奇跡を起こし、2回目のMAX世界王者に輝いた。

魔裟斗優勝の勢いは、WGPシリーズにも波及する。WGP3連覇中の“絶対王者”セーム・シュルトを、ピーター・アーツが開幕戦で止めたのだ。3タイム王者になった頃の強さを発揮し、アーツが一気に優勝候補筆頭に躍り出た。これに待ったをかけたのは、新世代の旗手、バダ・ハリだ。バダは、セフォー、グラウベといったトップクラスを連続でKO。開幕戦でもチェ・ホンマンをKO寸前まで追い込んだ。準々決勝では、世代交代を心象付けるためにアーツと闘い、TKO勝ち。準決勝では、新鋭のエロジマンことエロール・ジマーマンとK-1史上に残る名勝負をして、決勝まで駆け上がった。

決勝でバダと対戦したのは、因縁のライバル関係にあるレミー・ボンヤスキーだ。レミーは、バンナをTKOで、グーカン・サキをKOで倒し、脂が乗っていることを証明した。バダとの決勝戦でも、1Rに左フックでダウンを奪い、3回目の優勝まであと少し…となっていた。ところが2R、まさかの事態が起こってしまう。もつれて倒れたレミーに対して、バダはパンチを2発、レフェリーの制止を無視して踏みつけの反則を犯してしまったのだ。これにより、バダは失格に。準優勝の権利が剥奪となり、2位の選手が不在という誰も予想のできない幕切れとなった。

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